読書:読書は勉強といえるか?読書の学習効果について
読書は勉強といえるのか?または、国語の成績を上げるために読書は必要なのか?中には、読書をする暇があるなら勉強しなさい、などという意見もあります。
私は、読書は勉強だと思います。なぜなら、読書には学習効果があるからです。
見ることの大切さ
国語の読解問題におけるミスのほとんどは、見落とし見間違いによるものです。書き抜き問題などはその最たるもので、本文中に答えがそのまま存在するのに気づきません。
なぜこのようなミスが起こるのでしょうか?
それは普段から見慣れていないからです。
今の子供たちは活字に触れる機会が少なすぎます。国語の苦手な生徒はそれが極端で、教科書やプリント以外に活字に触れる経験のほとんどない生徒が多くいます。
見るものといえば、テレビ・スマホ・ゲーム画面がほとんどで、漫画すらほとんど読まない生徒もいます。見慣れていないものについて細かく確認して気づくことは困難です。
たとえば、水族館のペンギンの飼育係の方は数十羽いるペンギンをすべて見分けることができ、それぞれの性格や体調まで一目で見極めることができるそうです。
見慣れていない人にはほとんど同じに見えるペンギンにも、それぞれに特徴があるのですね。
飼育係の方は特別に観察力がすぐれているのかといえばそうではなく、毎日見ているからだと思います。事実、新人の飼育員の方はすべてのペンギンを区別できるわけではないようです。
細かいところにまで目の届く観察力は経験によって磨かれるのは間違いありません。
読書の効果
では、読書による「見る」ことの経験とはどれほどの違いを生むのでしょうか?
あくまでも推測ですが、少なくとも10倍、多ければ20倍かそれ以上の経験の差を生むでしょう。ONEスタイルアカデミーでは「1週間に1冊の読書」を目標としています。単純にページ数で言えば200~300ページ(新書サイズ、文庫本など)分の見る経験を積むことになります。
一方、問題集中心に学習した場合はどうでしょうか?
週に5日塾に通って勉強する生徒がいたとして、国語のプリントをどれくらいやるのかと言うと、せいぜい10ページ程度。鬼のように宿題を出す塾であっても20ページを超えることはないでしょう。
最小と最大で比較しても10倍。20倍・30倍になってもおかしくありません。
これだけの経験を積めば、見るスピードは格段に上がるし、細かい見落としも相当減ります。さらに言えば「読む」力(書いてあることから考えて判断する力)も自然に上がります。こういったベースとなる力があってこそ、問題演習がいかされるのです。
読書によって育つこうした力は、スポーツで言うなら基礎体力です。
サッカーに例えれば、問題演習によって育つのはボールを扱う技術(パス、ドリブル、シュートなど)で、読書によって育つのは基礎体力(走る速さやスタミナ・パワーなど)です。どちらも大切なのは言うまでもなく、例えばどんなにボールテクニックに優れた選手でも、走るのが遅くてスタミナもなかったら試合では使ってもらえません。
要するに、バランスを取って練習することが大切なのです。どちらかしかする必要はない、というのはあまりにも極端過ぎます。
まとめ
読書の学習効果は他にもあって、まとめると、
①活字に慣れる
②言葉の知識を増やす
③感性感覚を育てる
などです。他にもありますが、それについてはまた後ほど。
最後に、読書は勉強です。学習効果は十分にあります。ただし、やり方が大切です。何でもかんでも読めばいいというものではありません。
本の選び方と読み方を考えなくてはなりません。それについてはまた説明したいと思います。
本山駅前校 伊藤